ミャンマーには、130もの民族がいる多民族国家だ。その中に、カレン州に住むカレン族という民族がいる。国民の約1割ほどの民族だが、その風貌は日本人そのものだ。私が出会った何人かのカレン族は、どこから見ても全員が日本人と間違えるほど、肌の白さも顔つきもそっくりであった。
日本から最も遠い東南アジアに、これほどまでに日本人にそっくりの民族がいるのは驚きである。この驚きは、愛しさに変わった。
私が訪れたこの国は、一言で言えば、膨大な可能性と無限な未知で覆われていた。私にとって初めてのミャンマーの印象はこれに尽きる。
私がこれまで訪れた国の中で、私は最も可能性がある国と確信した。きっとこの国を訪れたことがある人たちの多くは、可能性を感じるのではないだろうか。
しかし、現実には、日本人が訪れるのは一年間に5千人にも満たない。ミャンマーは、軍事政権による半鎖国状態なのだ。
しかし、ここは北朝鮮のような完全な鎖国状態ではない。訪れることができない国ではない。2年前に完成したばかりの空港は近代的で、多くの外国人で賑わっている。
本来鎖国とは、外国との交際が全くなく、国際的に孤立した状態をいうが、ミャンマーではタイ、マレーシア、シンガポール、中国、インド、バングラデシュなど周辺各国とは交易しており、完全な鎖国状態ではない。
私たち日本人だけでなく、様々な国の人々が訪れており、町の中を歩いている限りでは、ここが半鎖国状態であるということは全く感じることができない。
今から2年後の2010年、ミャンマー政府は総選挙を行い、民政にすることを発表している。
もしこれが実現し、本当の意味で半鎖国状態から開国されたなら、この国の可能性は未知から、現実に大きく近づくだろう。
可能性は膨大であり、その膨大な可能性は現時点では無限の未知に覆われている。だからこそ、何故かこの国に愛しいほどの魅力を感じる。
可能性は膨大であり、その膨大な可能性は現時点では無限の未知に覆われている。この表現は、学校を卒業したばかりの新卒の新入社員を採用する時の感覚にやや近い。
将来、どのような社員になるのか、将来、大きな事業を背負ってくれるのか、そんな気持ちである。
つまり、膨大な可能性と無限な未知とは、若さである。若さとは、経験のないことであり、若さとは型にはまっていないことである。しかも、勇気と勢い、何よりも十分な体力を備えていることである。
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
これは私が大好きな青春の詩である。青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
逞しき意思、優れた創造力、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
ミャンマーという国は、いや正しく言うと、国ではなく、この地域に住む、生きる人々は、間違いなく青春の中にいる。
今、日本はどうか。日本という場所に住む、国民はどうか。膨大な可能性と無限な未知、若さを持っているか。
ミャンマーを、鎖国の国と呼べるほど、日本は開国された国なのだろうか。人は、希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。人口は、どうか。経済成長性はどうか。若さは、働く意欲はどうなのだろうか。
膨大な可能性と無限な未知を感じされるこの国、私は、この国で何かを挑戦したい。
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投稿者 :堀田信弘: 2008年9月 8日 06:22
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