千利休が没後、表千家、裏千家、武者小路千家の三千家が誕生した。
三千家の流儀は、微妙に異なる。例えば、茶道の最大の流派で、茶道人口の過半数を持つ裏千家では、薄茶をよく泡立てるが、表千家では泡が全面を覆うような点て方をしない。
さらに、茶を点てる茶筅においては、裏千家では白竹を使用し、表千家ではすす竹を、武者小路千家では黒竹を使用する。
利休が完成させたわび茶の世界も、後世の指導者によって、このように流儀の違いが表れる。それは、茶の世界を指導するにあたって、指導者のわびの捉え方がが異なったことが影響したのではないだろうか。
このように技術、手法、心構え、表現などが、形式化され、集団的に継承されていることを流儀という。流儀とは、個人の技量や技能ではなく、指導者による一定の論理に基いてまとめられ、組織的に統一的に技量や技能を継承するものである。
経営の世界では、経営理念や行動指針を掲げ、組織的に統一的に、目的を共有しようとの考え方が、これに似ている。ただ、これは、技術、手法、心構え、表現のうちの、心構えにしか過ぎず、茶道のような形、やり方、道具など目に見えるものではない。
IT業界で言えば、声高々に「うちは、技術の会社だ。技術力は負けない」と豪語する社長がいる。
しかし、それは、その社長を中心として、技術力が高かろう職人的な技術者が集まっているに過ぎない。
個人の技量や技能ではなく、指導者による一定の論理に基いてまとめられ、組織的に統一的に技量や技能を継承する流儀にはなっていないのだ。
つまり、流儀を持たない会社が多いということである。
流儀を持たない会社は、簡単に言えば、個人任せで、指導者による一定の論理に基いてまとめられていないということになる。つまりは、「うちは、技術の会社だ。技術力は負けない」というものが、組織的に統一的になっていないということである。
これは、技術志向の強い会社で起こりがちである。それは、社長自身が、現役のプレイングマネージャーであり、指導者になりきっていないからではないだろうか。技術者から指導者になり、技術を組織で継承できるようにすることが、流儀を持った強い会社であろう。
これは、逆説的な考え方をすると、流儀を持った会社では、突出した技術者は生まれ難い、あるいは生む必要がないと言えるだろう。それは、組織的に統一的に技量や技能を継承するのが最優先であって、そこからはみ出るやり方や論理は、流儀を乱すことになるからである。
この考え方は、恐らく否定されているのか、あるいは意味がないのか知らないが、現実的に技術を組織で継承できるようにするような取り組みは、大企業に比べ中小企業では皆無である。
組織より、個の集まりを優先する考え方が強い。
結果として、どちらが成功するのか、どちらが強い会社になるのかは定かでない。さらには、どちらを取っても強い会社もあれば弱い会社もある訳で、何が正しいというようなことを論じても仕方あるまい。
しかし、私は、組織中心論者である。
私の経営スタイルは、全てが組織つくりを基本においている。どのような組織が必要か、どのような風土が良いか、どうしたら個の弱さを組織でカバーできるか、誰かが休んだり、辞めても影響ない流れをどう確立するか、これを中心に考える。
私は、勝っても負けても、大きくなくても、それで良いと思っている。胸を張っていうならば、私の考え方が実現できたなら、絶対に強い組織になると確信している。勝ち負けは関係ないが、強い組織であれば、様々な苦難を乗り換えられるはずである。
だから、私は、流儀を持った会社にしたい。
技術、手法、心構え、表現が、組織的で、誰が接しても一流と言われる形を目指したい。そのためには、形式化し、共有化を図り、継承できる形を構築する必要がある。
そして、それをドリクラ流と言われる独特な論理性を持った集団にすることである。
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投稿者 :堀田信弘: 2008年8月 5日 07:13