一ヶ月ほど前、役員会の中で、自主性と統制について議論があった。
ドリームクラスター・グループには、グループ憲章というものがある。
その前文に『ドリクラグループは“夢”と“夢”の集合体を目指して、仲間の“夢”を共有する、それがドリクラグループの“夢”です。私たちは、夢を持った人々同士が手をつなぐことで、社会の夢、未来に貢献できると確信しています。ドリクラグループは、このビジョンを共有し、共に助け合い共存することでドリクラグループの発展と自社の発展の両立を目指します。』と規定してある。
共存と共生である。
さらに、第11条には『各会社の経営の自主性を尊重する』と経営の自主性が書かれている。
ここで、共存・共生と自主性の矛盾が生じる。
そもそも、グループが、グループであるための拠り所として、グループ憲章がある。この憲章がなければ、グループである理由もない。そして、憲章があるからこそ、縛りが入る。
それが統制である。
私はこれまで、ひとつのモデルとして、ヨーロッパ連合体EUのようなグループを目指すと言ってきた。
EU基本権憲章には、尊厳、自由、平等、連帯、市民権、司法の6つの章からなる。その前文に『EUは、共通の価値の維持と発展に寄与する一方、ヨーロッパ諸国民の様々な文化や伝統の違い、並びにEU構成国の自主自立、構成国の国民的・地域的・地方的レベルでの公共諸機関を尊重する』と書かれている。
これは、ドリームクラスター・グループの共存・共生と自主性の両面を言っているのに近い。
何かを定めるということは、縛りを持つことである。縛りがなければ、全くの自由だ。自由というフリーハンドの世界に、ほんの一歩でも統制が加われば、それは自主権の侵害になる。
しかし、本来、自主と自由は違う。自主とは、規程された範囲内で、自由裁量権を持つことであり、規程範囲のない完全なフリーハンドとは違う。
経営者を目指す人は、本来、独立志向が強い。だから、範囲が定められれば、窮屈感を感じる。だから私は、共存・共生と自主性という矛盾する両輪を成し遂げるには、その定められる範囲という縛りは、できるだけ少ないほうが良いと考えている。
できれば無い方が良い。そうすれば、100%の自主性は担保される。
できれば何もない中で、もう一つの理念である共存・共生というグループの統制が図られれば、何も問題ない。そのためにはどうしたら良いか。
まだ私には回答が見つかっていない。
唯一のヒントは、理念、考え方の共有化だ。しかし、この無形の縛りを成し遂げるには、宗教の如く、限りなく深いところで教えを共有する必要があるだろう。
ある人が、私のブログを見て、わが社に入社した。しかし、グループ憲章を読んで退社を決めた。
ドリームクラスターの事業方針に、経営と執行の役割を明確化するとある。しかし、現実には、恥ずかしながらできていない。執行責任と経営責任、株主の利益など、企業として当たり前のことを理解できていない。
経営者と執行者と株主には、それぞれの役目がある。その役目の中でのみ、自主性が発揮できる。その役目は、如何なることがあろうとも逸脱することはできない。そんなことも判らない。
経営者は株主によって選ばれる。経営者は、自らも含め選んだ執行体制、執行内容に対し、経営結果責任を負う。甚だ恥ずかしくて自主性などと言えるような段階ではないことを痛感すべきである。
わがグループにおかれた自主性と統制という矛盾との戦いは、これからも永遠に続くだろう。
私たちにとって、自主性を広げることは、とても簡単なことである。明日にでもできることだ。誰もが反対しないだろう。しかし、統制はどうか。できるだけ自主性を広げつつ、あるいはこれ以上に自主性を損なわないように配慮して、限りなく絆を強める統制を図ることは可能か。
統制などというものは、明文化したり、規則で縛ればできるものではない。仮に法律のように罰則を設けて統制したとしても、それは、私が目指している理念、考え方の共有化ではない。
それは、共存・共生という統制ではなく、強制にしか過ぎない。
心の、考え方の共有は、一日にしてはできない。今、グループを統制するのは、私の仕事である。そして同時に、私がいなくても、自然に統制されるように耕すのも私の仕事である。
それができなければ、100人の社長誕生などあり得ない。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
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投稿者 :堀田信弘: 2008年5月 8日 06:28
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