本田宗一郎は、「やりたいことをやれ」と言った。しかし、それはただ単に、社員がやりたいことをさせるだけでなく、宗一郎は、同時に社員に多くのことを求めた。
与えれば、求めるのは、当然なことである。本田宗一郎の有名な言葉に「失敗は許す、そのかわり同じ失敗はするな」というのがある。この本田の要求は、やりたいことをさせる見返りであり、同時に、やりたいことを成し遂げるためには甘えや妥協を認めないということであろう。
それは、親心にも似ている。やりたいことをやりたいように自由奔放にさせるだけでは、単なる放任主義にしか過ぎない。
子供が小さいうちは、親のしつけは重要である。そして、親は、子供がやりたいことを見つけるために、様々な経験や旅、あるいは本を読ませることで、多くの可能性を提示してあげる責任がある。
子供のやりたいことは、親の行動範囲や、親の方針、しつけによるところが大きい。
親が元卓球選手であったなら、小さな頃から卓球を教えることもあろう。そこには、子供がやりたいかどうかの気持ちなど存在しない。しかし、小さな頃から卓球を経験した子は、必然的に卓球への関心は持つ。もちろん、強くなる可能性もある。
気がつくと、子供はオリンピックを目指していたりする。
だからと言って、その子供が不幸かどうかは、他人からは判らない。結果として、その子供がやりたいことを見つけたとしたら、きっかけがどうであれ、見つけさせられなかった他人は、何も言えるはずがない。
つまりは、やりたいことをさせるのは、させる側の責任も大きいし、同時に受ける側が覚悟を持つことも重要なのである。
与えれば、求めるのは、当然なことである。正しい言い方をすれば、こちらの求めに応えてくれたものに与えたいと考えるほうが、普通なのかも知れない。しかし、私が言いたいことは、そんな当たり前なことではなく、させる側の責任が大きいという一点である。
私は、やらせる側には大きく二つの責任があると考えている。
ひとつは、やらせた任命責任である。やらせてほしいと言ったから、ホイホイと誰にでもやらせているようでは、やらせた責任を負っていないことになる。やらせたことの結果責任は、全てをやった側に押し付けようとしているに過ぎないのである。まさに、放任主義である。
やりたいことを認めてやらせるというのは、まさに任命したことになる。そこに、責任が存在しないはずがない。
では、その任命責任はどう果たすべきか。それが私が考えるもうひとつの、やらせる側の責任である。
それは、やってほしいことを明確にすることである。本田宗一郎で言えば、「失敗は許す、そのかわり同じ失敗はするな」ということになる。
任命責任者は、やらせた責任を負う。結果が悪ければ、任命責任者の見る目が無かったということであり、その責任を果たす必要があるのだ。つまり、任命責任者は、やらせた者と同時に同一の結果責任を負うのである。
だから、やらせる以上は、失敗はさせたくないし、失敗は許されないのである。つまり、運命共同体なのである。しかし、その二人の関係は、共同経営者ではない。一方がやらせ、一方が遂行する、いわば、この形は、株主と経営者、あるいはオーナーとママの関係と同じである。
オーナーは、執行者に結果を求め、執行者はオーナーの方針に従う。だから、二人の関係は、運命共同体なのである。
私の任命責任は、明確である。だが、私のやってほしいと思っていることは何もない。私が執行者に求めることは、私が最も嫌いなことを言わないことだ。
それは、言い訳を言わない、出来ない理由を言わない、わがままを言わないこの3つに尽きる。これさえ言わないで、懸命に努力してくれたなら、私は一緒に結果責任を負う。
しかし、これを守れない、つまりは、任されたことに対する責任の重大さを認識していないようなら、即刻退任を言い渡すのみである。
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投稿者 :堀田信弘: 2008年1月 9日 03:10
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