私は、この一年間で、多くの人と出会った。正確に言えば、色々な人を紹介して頂いたというほうが正しいかも知れない。
私は、幼い頃から、おせっかいなまでに人の面倒を見るのが好きだった。今考えて見ると、人と関わろうという気持ちが強かったのであろう。傍にいる人の話を聞くと、つい口を出してしまう癖があり、良く親父に「大人の話に口を出すな」と叱られたものだ。
その反面で、全く正反対の引っ込み思案なところがあった。私の周囲にいる人には、関わりを求めるのだが、他の集団の中に私が飛び込みことが苦手だった。
例えば、小学生の頃、昼休みに、サッカーをやる集団と野球をやる集団が自然に形成されていた。私は、野球をやる集団に属していたため、サッカーをやる集団のメンバとは、どうしても溶け込めなかった。同じクラスの子とは、話をすることもあったが、それでも野球のメンバとは距離感があったように感じる。
ましてや、他のクラスの子となると、どうしても近寄っていって話そうという気持ちにはなれなかった。それが、野球をやるメンバとは、例えクラスが違っても仲が良かったような気がする。
これは、野球とサッカーという興味の対象が異なるからというのではない。私の引っ込み思案の性格は、他の集団と関わることに抵抗感があるのだ。それは、今になっても続いている。
例えば、酒席での場面。同じテーブルにいる人との会話を重視することから、他のテーブルに足を運ぶことが苦手である。恐怖感とはまでは言わないにしろ、話が盛り上がっている場面に、そっと入っていくことができないのである。例え入ったとしても、話を合わせることに苦痛を感じ、寂しささえ感じてしまう。できないと知っているから、足を運ぼうとしなくなってしまうのである。
この性格は、自ら気づいている私の最も嫌なことである。社交的に動きまわる人を見ると、私のふがいなさを痛感させられてしまうのである。
こんな私であるから、私のこれまでの出会いの多くは、私の周囲にいる人から、次第に輪を広げてきたようなものである。私が、関わりを求めようと、私が主体的に動いて出会った人がほとんどであった。
それに私の性格は、誰かに何かをしてもらうことよりも、誰かに何かをしてあげたいと思う気持ちのほうが強い。それは、違った見方をすれば、自分勝手な性格で、だから、自分が寄って行くことはあっても、他人が寄って来ることは少ないとも言えると考えている。
神輿に乗るよりも、皆で大騒ぎして神輿を担ぐほうが好きだし、私は、担がれるようなタイプではないと思い続けてきた。
しかし、この一年間に出会った数多くの人は、周囲の人が私に紹介してくれた人ばかりである。おせっかいに紹介する側にいた私にとって、これほどまでに紹介を受けたのはこれまでにない。
この一年間、一言で言えば、多くの人から助けられ、支えられたと初めて感謝の気持ちを持った。
三年近く前、このブログで他力本願について書いた。
他力本願とは、浄土真宗を開祖した親鸞の考えてである。一般的に、”他人任せ”という意味に誤解されて利用されることがあるが、本来の意味は違う。
自力とは、自分の力を信じることで、他力とは、他人の力を信じることである。私の身勝手さの性格は、前者の自力本願であったに違いない。他人より、自分がという気持ちが強かったのである。自力の考えが強ければ、人への感謝の気持ちは持てないものである。
私の名前、信弘は、父から”人から信じられる人に”という意味で、名付けたと何度も何度も聞かされた。私は、その意味を文字通り、信じられることと自分本位に取り、人を信じることと考えていなかった今になって気がついた。
来月、父が他界して、13回忌を向かえる。親鸞が住んだお寺で法要する。
三年前のブログで、「人を信じること」と自ら書いているが、それを実践できたのは、今年が初めてであった。その大きな理由は、何度も海外に出かけ、ベトナムという遠方に会社が出来たこと、多くの外国人と接したこと、これら全てが、私一人の力では到底できなかったことだ。
他人を信じ、他人の力を信じる他力の意味をやっと理解し始めた。そして、初めて感謝という言葉の重みを痛感した。
他力に感謝。
一年間、本当にお世話になりました。ありがとうございます。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
感謝。 毎朝6時に社内朝礼ブログをこちらで公開しています。こちらもご覧頂けたら幸いです。
この内容に共感頂けたらこちらをクリックして下さい。ありがとうございます。
※このブログは日本最大級の社長動画サイト賢者.TVのランキングで堂々第一位となりました。
投稿者 :堀田信弘: 2007年12月26日 08:33
http://www.hottaworld.com/mt4/mt-tb.cgi/561