重度な知的障害を持つ私の長男は、強い自閉傾向を持っている。自閉傾向というと、引きこもりや自分の世界に入ってしまうような印象を持つが、自閉症における自閉傾向とうのは、もっと広義なものである。
例えば、「こだわり」という特徴がある。
小さな頃は、食事の偏りが激しく、麺類以外は口にしなかった。しかも、食べる時間、食べるもの、食べる順番、食べる場所、食べた後の動作まで、いつも同じでないと気がすまない。少しでも、いつもと順番が異なったり、抜けていたりするとパニック症状を起こす。
ところが、中学生になった今では、次第に食事の偏りが無くなり、どんなものでも食べられるようになった。
しかし、だからと言ってこだわりが無くなったのではない。朝起きると、カーテンを開け、直ぐに走って新聞を取りに行く。そして、洗濯機を動かし、テーブルに箸を並べる。いつも、この順番は変わらない。
今では、彼のこだわりは、我が家にとって、とても大切なお手伝いさんを果たすまでになった。
このようにこだわりが強い知的障害者でも、そのこだわりを上手く”変化”させ、そのこだわりが生活で支障がないまでに変えることができるのだ。
一般の人には到底理解できない程の強いこだわりを持つ人のことを、自閉傾向を持った障害者と言う。極端なこだわりを持つと障害者であるが、普通の人でもある程度のこだわりはあるはずである。
私は、長男を見ているから、こだわりというのは、我々健常者にもとても重要なことだと感じるようになった。
「こだわり」というのは、言葉を変えれば、ポリシーということでもある。自分の経験と知識によって一定の考え方の柱を持ち、物事の判断をする、この生き方、考え方の基本となるのがポリシーだ。
つまり、「こだわり」である。
しかし、この「こだわり」、時には厄介である。
長男の「こだわり」が厄介なのは、環境の”変化”に適応できないことと、他の人がその「こだわり」を理解できないために生じる誤解である。いわば、「こだわり」の状態に入ると、他から干渉を認めないということになるのである。
このことは、健常者でも同様と言えよう。
ある人が「これは私のポリシーだ」と言った瞬間、もはや「こだわり」の中にいるその人には、どんな問い掛けや、柔軟な対案を出しても中々受け入れられない。
その人にとって見れば、自分がかつて経験したことや知識によって、自分なりのベースとなる考え方であるから、それを否定するということはこれまでの生き方を否定されたことに感じることだろう。
リーダーや経営者にとって、ポリシーを持つというにはとても大切なことである。自分の過去の生き方から生み出されたポリシーによって、これからの物事を判断しようという試みは自然である。
むしろポリシーがない人は、生き方の芯がないようにひ弱にさえ見える。だから、ポリシーを持つ、一つ一つのことに「こだわり」を持つというには、素晴らしいことであり、ないよりもあったほうが良い。
この私も、他人から「細かすぎる」と言われても、どうしても譲れない「こだわり」は持っている。
しかし、もう少し「こだわり」について深く考えて見ると、「こだわり」とポリシーは本来違うことに気付く。前述ではあえて「こだわり」とポリシーを混在して論じてきたが、それ位に同意語に捕らえている人が多いようだ。
「こだわり」もポリシーも自分の過去の経験や知識によってもたらされることに違いはない。ただ、「こだわり」は、論理的な考えというよりは感覚や感情といった理屈がないものである。例えば、「私は青よりは赤が好き」などというものと近い。
現に、長男の「こだわり」は、彼が経験したことから導かれた考えというよりは、理屈のないものだ。だから、彼は「こだわり」はあるがそれはポリシーではないのだ。
ならばポリシーとは何なのか。ポリシーも「こだわり」と同様に自分の過去の経験や知識によってもたらされたものだ。「こだわり」との違いは感覚や感情と言った感性ではなく、過去の経験から導かれた考え方と言えよう。
どうも、この違いを考えずに気軽にポリシーを口にする人がいる。「私は理屈なしにこれが正しいというポリシーを持っている」という言うのは、ポリシーとは理屈であるのに関わらず、理屈なしにと「こだわり」を示すことで議論を封じ込めようとする。
まず、「こだわり」とポリシーとは違うことを認識すること。と同時に、違うのではあるが、何れにしても単に”過去の経験” から導かれたものに過ぎないと言う点では、限りなく近くポリシーも「こだわり」も、ちっぽけなものであることを知る必要がある。
つまり、「こだわり」であれ、ポリシーであれ、”過去”を基点とした考え、感性であって、それが今正しいか否かは別物だ。「ポリシーだから変えられない」という人がいるが、それは同時に、新しい将来をもが、過去と変わりない将来を思考しているということになる。
長男がそうであったように、「こだわり」は、環境の変化、年齢によって変化、成長する。「こだわり」はゆっくりゆっくりでも、何かのきっかけで変わって行くものであり、変わるのが自然なのである。ならぜなら、どんどん新しい”過去を経験”して行くのだから。
極端な言い方をすれば、これまで自分のポリシーと思っていたことであっても、私は、ある人との出会いや、あるいはこれまでの経験はで判断できない新しい出来事が起きたことによって、一瞬のうちに、これまでのポリシーは崩れ去り、それを元に新しいポリシーを持っても良いと考えている。
「ポリシーが変わった」と言われても良いじゃないか。所詮ポリシーなんて経験の乏しい過去から導かれたものに過ぎないのだから。
変わっては行けないのは、信念だ。
信念とポリシーは違う。ポリシーは、考え方やその人の方法論である。だから、ポリシーというのは、いくつもある。様々なケースに応じたポリシーがあると言っても良いだろう。しかし、信念は、そんなに多くはない。たったひとつと言っても良いかも知れない。
会社で言うならば、信念は経営理念、ポリシーはそれを具現化する事業方針のようなものである。事業方針は、時代や環境によって変化して行くことは自然である。これを変えないで時代遅れの方針であれば、世の中の環境変化に対応できないであろう。
しかし、経営の憲法とも言える経営理念は、そう簡単に変わるものではない、言わばその会社の生き方を表す信念だからである。
そう、信念とは生き方を表す。だから、突き詰めるとたったひとつであって良いのだ。その人の生き方だから、その考えは自由であって良いし、それを正しいだの違うだの議論する余地は全くない。だから、方法論を議論する時のポリシーとは、次元が違うのである。
リーダーなら、こだわりとポリシーと信念を持て。そして、小さなこだわりとポリシーは時には捨てる勇気を持て。殺されても変えることができないのが、どう生きるかの信念だ。
信念は、口に出すものではない。自分の生き方を口にして、議論の材料にするものではないのだから。信念は、心の中に秘めていれば良い。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
感謝。 毎朝6時に社内朝礼ブログをこちらで公開しています。こちらもご覧頂けたら幸いです。
この内容に共感頂けたらこちらをクリックして下さい。ありがとうございます。
※このブログは日本最大級の社長動画サイト賢者.TVのランキングで堂々第一位となりました。
投稿者 :堀田信弘: 2007年10月19日 07:37
http://www.hottaworld.com/mt4/mt-tb.cgi/502