クラクフに一人のドイツ人がやってきた。男の名はオスカー・シンドラー。ナチス党員だ。彼は、巧みな話術でドイツ軍上層部に取り入って名前と顔を売る。
15世紀ヨーロッパ全域で始まったユダヤ人の迫害が厳しくなった時、ポーランドはユダヤ人を受け入れた。そのため、クラクフにはヨーロッパで最も多いユダヤ人が住んでいた。
ナチスによるユダヤ人の隔離政策としてゲットーと呼ばれる壁が作られた。ユダヤ人は家を追われ、ゲットーの内側(ユダヤ人居住区)で暮らすことを強制させられ始める。
シンドラーは、ユダヤ資本の工場を買収して「ドイツほうろう容器」という軍需工場の経営に乗り出す。
彼は、ユダヤ人をゲットーの外にある彼の工場で雇う。理由は、ユダヤ人を無償の労働力として使えるということだけだった。
戦火が悪化するにつれて、人件費のかからない彼の軍需工場は大儲けする。
ところが、今度はユダヤ人はゲットーから追い出され、クラクフに作られたポワッシュワ強制収容所に入れられることになる。家族は引き裂かれ、抵抗する者、逃げようとする者は容赦なく射殺される。病院では医師が患者や子供に毒薬を飲ませ安楽死させる。
ゲットーが解体されて、混乱する様子をシンドラーは、丘の上から見ていた。
そして、彼のユダヤ人工員もプワシュフ収容所に入れられた。
工場は、労働力を失い休業せざる得なくなった。経営危機を打開するためシンドラーは、プワシュワ収容所を訪れる。
収容所の所長は、気まぐれにライフルでユダヤ人を狙い撃ちしていた。それを見たシンドラーは、自分の工場の敷地内にプワシュフ収容所に付属する私設収容所を作りたいと申し入れる。
そして、再び工場が再開した。しかし、今度は、ソ連が侵攻し始めたため、ナチスは証拠を隠すためにプワシュワ収容所を破壊し、ユダヤ人をアウシュビッツ収容所に送ることになった。シンドラーの工場も閉鎖を余技なくされ、ユダヤ人工員もアウシュビッツに連行されようとする。
シンドラーは、工員のリストを作り、全ての私財をなげうって、多額のワイロを払い、ユダヤ人1,200人を救う。
この実話は、ユダヤ系アメリカ人であるスティーブン・スピルバーグによって「シンドラーのリスト」として映画化された。
私は、なぜ今回、このポーランドの旅に出たか。
それは、この「シンドラーのリスト」の地を訪れたかったからだ。これが旅の最大の目的。オスカー・シンドラー工場は、今でもクラクフに残されていた。
私が、経営者の道を選んだのは、この映画を見たことにある。
障害を持つ息子が生まれ、将来のことを考えていた時、この映画でアウシュビッツ収容所の存在を知る。アユシュビッツでは、ユダヤ人だけでなく、子供、年寄り、使えない障害者などが虐殺された。
金儲けをすることだけを考えたいたシンドラーが、ユダヤ人を救うことになる。でも、金儲けできたからこそ救えたとも言える。
そして、金儲けできたのはユダヤ人のおかげだとして、彼らによってもたらされた私財を投げ打つことにする。それでもシンドラーは、無駄な高級車を買ったり、贅沢をしたことを悔やみ、そのお金があったなら、さらにもっと多くのユダヤ人が救えたのにと嘆く。
シンドラーは死後、ユダヤ人国家イスラエルから国民のための正義の人という意味のヤド・バシェム賞を授与された。
私は今、シンドラーと同じく、ビジネス、商売という名の金儲けをしようとしている。しかし、私が、経営者になったのは、オスカー・シンドラーのようになりたいからである。
経営者として重要なことは、金を得ることよりも、金をどう使うかだと私は考える。
私は、未だ自由に使えるお金がない。お金がなければ、私がやりたいことはできない。
私は、オスカー・シンドラーのような経営者になりたい。いや、必ずなる。シンドラーがたった数年間の間にできたように。
私も短い時間を走り抜けたい。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
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投稿者 :堀田信弘: 2007年9月 3日 09:32
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