裁判官が着る黒い服は、法服と言われている。なぜ法服は黒なのか。それは、黒は他の色に染まらない色で、主義主張に左右されないで公平に裁かないといけないからというだ説がある。もう一説には、人が人を裁くことなど本来できるものではなく、黒をまとることで、人としてではなく神に代わって裁くようにしたというのもある。何れにしても、どんな優秀な人間であっても、人が人を裁くということは極めて困難なことで、人間の背広を着てやれるようなものではないのである。
カミューの「異邦人」という小説がある。主人公がアラビア人を殺す話である。
主人公の犯人は、ピストルを持って相手を狙った一発目のとき、手が震え引きつったと言っている。ところが続けて、三発、四発と発射した。
裁判では、はじめチンピラのいさかいによる衝動的な事件と考えられた。一発目は手が震えるほど怖かったはず。しかし、計4発討ったことを巡って、犯人はそのアラビア人を元々憎んでいており、予め殺意があったと検察側が言う。殺意があるかないかで、死刑になるか自己防衛になるか全く異なる判決となる。
なぜ討ったのかと理由を問われた主人公は、「太陽がまぶしかったから」と答えた。自分が何をしたかも答えられなかった。
こうなると、人の心の中を見て、裁こうなどということはもはや不可能になる。結果だけを見れば、殺したことは確かであるが、心の中にある殺意の如何によって刑が異なる。場合によっては、刑務所ではなく、精神異常ということで、精神病院行きとなるくらい、結果だけでは判断できない。結果が全てではないのが、人権の平等だ。
論理的に考える裁判官は、四発の意味を考える。普通だったら一発が妥当か、或いは憎ければ四発かと。しかしこれも意味がない。だったら二発だったらどうなるのか。そもそも討った数ではないが、結果からしか推測しようがない。でも、それはタダの推測であり、正確ではない。
山口県の母子殺人事件で、異例の高裁差し戻しとなったが、通常の殺人事件では、無期懲役にしかならない。日本の裁判では、結果を重視し、どんなに残虐で許しがたいレイプでかつ悪意を持っていたとしても、二人を殺しただけなら無期懲役だ。裁判をする前から判決は見えている。しかも、未成年の犯人の場合、四人を殺した永山則夫連続殺人事件で死刑となったくらいで、更生の道を優先する。
妻子を失った被害者の夫は、「二人で無期、四人で死刑、なら三人ならどうなるのか」と言っている。「もし、三人で死刑にできるなら、私が自殺して、この事件で死んだ被害者の数が三人になれば良いのか」と訴えている。
殺したことに変わりはない、年齢や人数で結果が異なるのはおかしい。数値化して無難なところを取る、言わば、会社における数値管理のようなものだ。一件違うケース、一人一人異なる被告なのに、過去の判例でしか判定するしかない。過去の判例が本当に妥当なのかは判るすべもないのに、未来を切り開く判例は中々でない。
今、世の中は、成果主義や能力主義という人が人を評価する制度が横行している。数値管理だ。結果から言えば、数値管理のほうが楽で、一見それなりに見えるからである。
目標より行けばOK、達成できなければNG。これがもし、設定した目標が低かったらどうなるのか、もし達成できなくても他の誰よりも難易度が高かったらどうなるのか。目標そのものが正しいことを前提にしているが、目標なんていくらでも低くも高くも立てられる。能力主義も同じだ。資格を取ったからどうだ、誰よりも遅くまで頑張ったからどうだ、いち早く仕事を終えさっさと帰った人はダメなのか。しっかりと仕事をしても協調性がないとダメだのか、仕事ができなくても和を大切し皆から好かれる人は良いのか。納得が得られるような評価などあり得ない。良い評価をしても、他と比べていては切がない。
結局のところ、人が人を評価するなんてことはできない。360度評価とか言って、社員全員で評価したとしても、所詮は身内の点数稼ぎにしかならない。大体、評価にそんなに時間をかけてどうするのか。もはやベンチャー精神がもてる会社ではなくなっているだろう。
最も簡単な方法は、社内で評価するよりも市場や顧客に評価を任せるほうが懸命だ。
判りやすく言えば、個人事業主などのお店の経営者。お客さまに評価されるだけだ。客の評価が良ければ、お客が増え、結果として売上が上がり給与が増える。フリーランスなどの技術者だって同じ。自分で価格を設定し、高ければ客がつかず、自分で単価を下げざる得ない。社員もお客から評判が良くなければどんなに技術力があっても、お金を稼いでいない。稼いでいなければ、払うことはできない。
経営者なら皆そんなことは判っている。しかし、社員の評価はそうは行かないと考える。なぜか?
評価しようとするからである。もしくは、出来ない管理職に評価などさせようとするからである。大体、管理職は経営者の視点では人は評価できない。だから、評価などしなければ良い。経営者が一方的に価格を決めれば良い。辞めてほしくない人には高く、できない人には安く設定するのである。「なぜ、安いのか」と聞かれたら、「価値観だ」と答えれば良い。それが嫌なら頑張るか辞めるしかない。冷たいように聞こえるが、それが嫌なら皆同じ給与にすれば良い。本当は差をつけたいのに、それに最もらしい理由がほしいだけじゃないか。
ふざけた話だ、不条理だと言う人がいるだろう。きちんと評価システムを作成して、評価基準を見えるようにしたほうが良いという人もいるだろう。
その通りかも知れない。しかし、それでやったのと、私が言うのと、結果は違うのか。もし、結果が違うとすれば、辞めてほしくない人に安く、できない人に高く払うというこになる。それは、経営者が望んだ結果通りなのだろうか。もし、結果が同じと言うのなら、面倒な評価制度など必要ないのでは。
経営者の下した評価に納得いかない人が続出すれば、会社は崩壊する。辞めてほしくない人が辞めてしまうような殺伐とした組織にしたかどうかが、経営者の責任だ。そもそも、人の評価などできやしないのだから評価などしなければ良い。
それはその通りだが、人が増えるとそうも行かないという反論もあるだろう。
私からすればそれは逆だ。人が増えたら評価制度を止める。一万円や二万円程度の差をつけても何ら効果は生まれない。本当に差をつけたいのなら、つけたい人だけを対象とした抜擢制度を作るのだ。そこに入れるのは一割程度であろう。だから100人の会社でなければ意味がない。それ以下の会社では、そんなに飛びぬけた社員がいるはずもなく、仮にいたら思い切って役員にすれば良い。それができないのなら、それほど優秀でもあるまい。
私の経験からすれば、評価を気にする人は、右腕や左腕といった真のパートナーにはなりえない。これまで給与が安いと直談判して来た人に、優秀な人がいたためしがない。不満を漏らす人は、自己評価との会社の評価とのギャップに気がついていない。自己分析ができない無能な人。ギャップをきちんと示せば良い。そのギャップを理解しない身の丈を知らずか、経営者が有能な面を見る目がないだけ。何れにしても相性が合わないから、職場を変えたほうが懸命である。
数値管理をするなら年功序列が最も簡単だ。一般的に、経験が豊富なほうが仕事ができる。普通の人はそれで良い。ただ、年齢と共に給与が上がるものではないことを教える。給与は仕事の種類で変わるのだ。例外的に年齢の割りにできない人がいる、逆に年齢よりもできる人がいる。それらは、どちらも一割程度であろう。あわせて2割のために、8割の人の中を細分化しても意味がない。例外は、例外的に対処すれば良いだけである。
いささか投げやりの暴論に聞こえるかも知れないが、経営者の本音はそんなところでないか。無い袖を振って、評価で差をつけるより、皆に多く払えるよう商売の内容を考えたほうが遥かに健康的だ。最低年収500万円、後は100万円単位で差をつける。それができないのなら社長の給与を減らせば良い。
会社の業績が社長の評価なのだから、自らを評価できないで、誰を評価するつもりか。裁判官でも人の心の中までは判らないのだから、目標管理なんてズルイやつを生む温床となるだけだ。自分を評価できない人は、人を評価しない、これが私の結論だ。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年7月 3日 13:43
堀田さんの意見は評価制度に関する本質をついていて、傾聴に値すると思いました。
360度評価を始め、複雑な人事考課制度を作って、見た目だけ立派にする企業やコンサルタントも多いですが、私もそんなやり方には反対です。
最後の「会社の業績が社長の評価なのだから、自らを評価できないで、誰を評価するつもりか」というのはまさにその通りですね‥
耳の痛い経営者も多いのではないでしょうか‥
投稿者 コンサルタント服部 : 2006年11月16日 22:50
初めまして!!
裁判の話といい社員の評価といいとても示唆に富む話だと思いました。
私はインドネシアとパレスチナでネットアニメを配信する事業を始めて中東和平の起爆剤としたいという理想を持って努力してます。
ブログランキングから来ました。
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あなたに光あれ!!
投稿者 この世は仮の世(仏性)・ゼルダ : 2006年7月 3日 21:22
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