今日は、私の父の命日である。あれから9年が経った。59才で亡くなった父は、毎日深夜まで働いていた。その日も、夜9時過ぎに帰宅、亡くなったのは一時間半後の10半過ぎだった。心筋梗塞の突然死だった。
父の仕事は、県の官僚で、最も大きい組織である教育庁のナンバー2だった。部下は約3万人の公立学校教職員、毎日、送り迎えの車が自宅まで来ていた。学校で問題が起きる度に、夜中でも新聞社からの容赦ない電話取材に対応していた。土日は、県会議員たち政治家たちが自宅に押し寄せていた。
そんな父に対し、私は反抗的だった。
毎日遅くまで仕事をして、家での会話は皆無。小さい頃から叱られてばかりで、今でも夢に見るのは怒っている姿だ。
柔道をやっていた父は、容赦なく私を投げ飛ばした。小学校に上がる前に、投げ飛ばされ頭を柱にぶつけて縫いっている。それでも、 反抗的で不良気味の私は、高校生まで、父と取っ組み合いの喧嘩をしていた。
それでも、高校生の頃、タバコを吸ったり、酒を飲んだり、遊び呆けても、それが理由で叱られたことはない。髪を染めても、 オートバイに乗って暴走族と一緒に海に行っても見て見ぬ振りをしていた。進学高に行ったのにも関わらず、成績は上位から下位に急降下しても、 勉強しなくても何も言わない。
正直言って、何がダメで、何が良いのか理解できなかった。
今思えば、自分が考えてやったことには、例え脱線していても認められていたような気がする。一方、何も考えず行動したり、 若しくは人の言いなりになったり、或いは言い訳をしたりすることには、厳しかったようだ。
簡単に言えば、結果より過程、もしくはなぜそれを使用とするのかという信念について、教えられたような気がする。
父に反抗的だった私は、父が亡くなってから、やっと教えられたことを大切に考えられるようになった。
そのため、過程より結果を大切にしたり、理念より現実を大切にする合理的で経済的な考え方は、私には馴染まなくなった。 経営者としては、全く逆さまの考え方が身についたようだ。
しかし、ホリエモンの逮捕劇を見ると、兵どもの夢の後といった感じがし、 例え商売の世界でもマットウな生き方は大切なのだと思うようになった。
仕事と読書しかしない父に堅物のような嫌気を感じていた。
部下が3万人いると言っていた父に、とても超えることができない悔しさがあり、認めたくない想いがあった。
偉大な永遠のライバルを失って、最も知ることができたのは、「存在意義」という意味。私たちは、何をやろうとしているのか、 何がしたいのか、誰のためにやるのか、いつやるのか、何のためにするのか、何を残そうとしているのか、 存在する意義は何なんだということを失うことで得た。
「存在意義」、会社だって同じことが言えるはず。
「存在意義」、家族にだってあるはずだ。
10回忌を向かえ、改めて「存在意義」を胸に刻みたい。
最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。
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投稿者 :堀田信弘: 2006年1月25日 23:02
稲田の西念寺での法要から9年が年経つのですね。
失礼ながら10年ぶりに旧友たちに会い、皆貫禄がでて別人になっていて愉快だった。
ますます父達に近ずいていく自分達。背中の記憶だけは雄弁であることを望みたい。。。
投稿者 mano t : 2006年1月26日 17:44
父とはどう向きあって良いものだろうか。。。
昔堅気の父の存在は絶対的であり、この年齢でもやや距離感を感じております。
しかし食事の時だけは、必ずTVを消し家族での団欒だけは強要をしてまで大切にする。
会話は弾まなくても、皆が無言でも団欒を大切にする。
これが父なりのコミュニケーションなのかと考えてみる。
ちなみに友人に聞いてみたところ
「母親の方が距離感は近いで。皆そうやと思うで」
という返答。
父は口に出さずとも子供がいくつになってもひそかに思案しているような気が。。。
やはり失って得られる存在意義なのでしょうか。
「タジイの気楽日記」
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投稿者 タジイ : 2006年1月26日 01:52
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