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ビジネスについて  「活・喝・勝」


官は民を補完する

「民ができることは民へ」は、教育の分野にもおきている。

2005年度の東大合格者数を分析してみた。都道府県別合格者数を見てみるとトップ10は、東京、神奈川、兵庫、愛知、千葉、福岡、 鹿児島、茨城、埼玉、奈良の順で、この上位10都県で全体の7割になる。

学校別で見ると上位20位までは、全て私立及び国立の中高一貫校が寡占し、公立高校は全体でも34%しかいない。

30年前の1975年度は、公立高校が全体の65%を占めていた。つまり、この30年間で私立と公立が全く逆転したのである。

1975年と比較して、最も合格者数が減って順位を下げたのは、長野県。5位から23位と後退し、合格者数は1/3に減った。 長野県の2005年度合格者30人のうち27人が県立高校で、公立高校の割合90%は、全国でも高いほうである。

一方、1975年の時は40位と下位にいたにも関わらず、2005年に10位と大躍進した県がある。それが奈良県。

奈良県は、都道府県人口当たりで比較すると、東京に次いで第2位である(3位は鹿児島県)。

その奈良県は、合格者62名のうち、59名が私立高校で、公立高校の割合5%は、全国で最も低いほうである。

東大の合格者数を見て、教育論を言うつもりは毛頭ない。

経営的観点からマーケティングしてみると、明らかに私立高校へ優秀な生徒が流れるのは間違いないようだ。私立学校というのは、 民間である以上、経営者の手腕が重要である。

郵政民営化のように、「民ができることは民へ」の流れは必要だ。しかし、官が不要という訳ではない。教育の分野で言えば、 国民全体への幅広い教育の機会均等という意味で、公立の役割は極めて大きい。

しかし、これからの時代は、「官は民を補完する」ようになる。民間は、優れたマーケティング能力と、経営手腕で、 マーケットが求めるより質の高いものを提供し、競争によって淘汰されるだろう。

これは、教育の分野でも言えることだ。学校経営者次第で教育の質が変わるのだ。

5年ほど前まで、学校別合格者ランキングトップ100に1校も入らなかった県がある。千葉県である。それでも千葉県は、 常に都道府県別では10位以内に入っていた。つまり、複数の県立高校が競い合って、 いくつもの学校が何人かづつ分散して合格者を出していたのだ。

その千葉県で、一躍大躍進した高校がある。2005年では、千葉県の高校で唯一トップ100に入った。 その学校だけで38名もの合格者を出し、千葉県を5位に躍進させた。

その学校は、多摩大学など複数の大学、短大、高校、小中学校、幼稚園を経営する田村学園グループ渋谷教育学園幕張(渋幕という)である。渋幕は、2005年、 昨年より合格者を倍増させ、学校別ランキングで15位と大躍進した。

田村学園グループは、兄弟の田村哲夫、田村邦彦両氏が経営し、抜群の財力、資金力で経営拡大路線を邁進している。 買収や統合、 提携も盛んで、現在3つの学校法人を統括している。教育界では珍しいグループ経営を行っている。

田村哲夫氏は、文部科学省の政府教育諮問委員会委員長を歴任し、大学入学資格検定の見直しなどを検討する中央教育審議会委員で、 政界、業界でも知名度抜群な人だ。

田村氏は、優れた経営手腕で、マーケットが求めるより質の高いものを提供し、成功させた人物であることは間違いない。

東大が全てではないが、経営的に捉えても、トップクラスの生徒を集客し、知名度アップが図れたのは事実だ。古豪の有名校に対し、 新規参入した功績は大きい。

「民ができることは民へ」への流れは止まらない。しかし、民間である以上、利益追求、経営拡大を進むのは当然である。だからこそ、 今必要なのは、「官が民を補完する」役割である。民ができないことを官がやる。そして、官は民に追いつくようにサービスの質を上げてほしい。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます。

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投稿者 :堀田信弘: 2005年9月 6日 14:38




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投稿者 Alexander Taylor : 2005年10月11日 01:27

受験勉強とは、いかに与えられる問題が解けるかが重要となります。天才と呼ばれるほどの才能を持たない受験生は、出題者の意図に従順にならなければ、高得点は望めないのです。
ですから、その受験を勝ち抜いた東大生は、自分で問題を指摘し解決する能力に欠けている人が多いのではないかと思います。官庁の仕事が役所仕事と呼ばれ批判される理由もここにあるのではないでしょうか。

投稿者 kami : 2005年9月11日 00:29

すみません。昨夜の投稿が、回線の状態が悪くて何回もボタンを押してしまったため、コメントが重複してしまい、ご迷惑をかけてすみませんでした。

投稿者 azami : 2005年9月 8日 11:01

私の住んでいる県は昔から今日まで典型的な私高公低と言われていて、小学校高学年から私立中学受験の塾通いのために母親がパートに出る家庭が多いです。そんなわけで、小学校に子どもを通わせている親として、この頃何となく感じていることは、新採用の先生の総合的な指導力不足です。現在のかなりの狭き門である教員採用試験を突破して先生になる人というのは、地方ではかなりのエリートと言えると思いますが、最近4月に担任が新採用の先生だとわかると一抹の不安を覚えてしまいます。そしてその不安が5月ごろ見事に適中して、クラスが荒れてくる。上の子の時は学級崩壊と診断されたこともあった。下の子のクラスは今荒れている。そのどちらもが新採用の先生だった。そしてどの場合も生徒より先生に問題があるのは明らかなのです。たぶんうちの県で先生になる人はエリート私立出身の方が殆どだと思う。そんな彼らが、多様な生徒のいる公立校に来て、うまいこと学級を経営して行けるのだろうかはなはだ疑問です。教師の適性ということを考えれば有名私立の出身ということは何のプラスにもなってないと思われます。これは教員採用試験の問題でもありますが、前述の二人の先生を見て思うことは、経験不足というよりも教師に必要な何かが最初から致命的に欠けている気がするのです。彼らが私立出身かどうかは確かめたわけではありませんがそれなりのエリートコースは歩んできた人たちではあると思います。公立校の先生にははっきり言えばできない子勉強が好きでない子への共感能力というものが求められると思いますが、そういう能力が無いからできない子の気持ちがわからないし、どうやって彼らを引き上げていっていいかもわからないのです。同じ事は、東大を出て官僚になられる人たちにも言えるのではないでしょうか。外務省の方々のことが思い浮かびます。私は、東大出身者の多い職場でアルバイトをしたことがありますが、そこで私が彼らに抱いた印象は決してよいものではありませんでした。悪い意味でこのひとちょっと変だなと思うと大体その人は東大出身なのです。学閥意識もやっぱり一番で、端から見てもあからさまに後輩だとわかると贔屓してましたし。これは私の狭い経験による偏見かもしれませんが、私は私立のエリート校にも東大にもそれらを無条件に肯定する幻想は抱いていません。公立校がもっとがんばって多様な人材を育てることに期待したいです。そのための問題は教員採用試験だとは思いますが。

投稿者 azaminosoturedcure : 2005年9月 8日 02:47

国民の平均学力の維持向上には、義務教育は必要。学校は社会の基本モラルのを教えるのは必要と思うが、家庭ですべき社会モラルまで学校に押し付けるのはいかがなものか。

まだ、有名校ー大企業の道への志向が強いようだが、これからのグローバル社会、サバイバル戦に生き残る能力(どんな状況にも適応し、自分の才能を発揮できる)を育てることや、天才的な才能を持った他人をどう発掘し育ててゆくこと(システムが確立してない?)が大事と思う。受験戦争で天賦の才能を殺してしまってないだろうか。

投稿者 temperaworm : 2005年9月 7日 11:10

公立高校の地盤沈下は入学地域制限など行い、学力の平準化をした結果、高校の特色をなくしてしまったことに原因があります。秀才も凡才も一つにまとめ、英才教育を排除し、最低限の学力を保証するような教育方針では公立高校の再生はないと思います。
その昔、都立日比谷高校といえば名門中の名門でしたが、今は見る影もありません。悪しき平等主義から脱却し、競争原理の導入し、特色ある高校を作り出して行かないと、公立高校の明日はないと思います。
教育は国家の基幹です。金持ちのお坊ちゃんがエリート街道を走っても、日本が住みよい国になるとは考えられません。
ビンボウ人の優秀な子供こそが血も涙もある人格者に育つと考えています。
だから、学費の高い民間高校任せでは困るのです。

投稿者 のびぃ太 : 2005年9月 7日 10:19

公立高校に頼った長野県の没落、有名中高一貫校のある県だけが、伸びている。と言っても、奈良県の進学校に入っているのは、奈良県民と言うよりは、関西一円の優秀な小学生、教育熱心な親の子供であろうから、そういう優秀な子供が、進学校に集中することで、ますます公立校は、優秀な生徒が来なくなるという悪循環(公立にとって)が起きている。

このことを経営努力と礼賛することはやさしいが、その発言は、東大に合格するには、最低、有名中高一貫の私立学校に、行くだけの財力を、親が持っていなくてはならないと言う、財力による進学差別を容認すると言うことになる。

わたしの子供も、地方の私立中高一貫校(ホリエモンの母校だ)に合格するように、塾に出している。公立のレベルが、下がっているからだ(わたしの母校も然り)。しかし、現状がよい方向だとは思わない。

「官から民へ」は、弱肉強食容認であることを忘れてはならない。また、自由競争になるよりも、過当競争から、淘汰されて、独占、寡占企業ができると言うことまで、視野にいれなければならない。

小泉構造改革の信奉者の多くは。この弱者に入る人が多いと思うのだが、なぜ自分がひどい目にあうことが、確実なのに、小泉支持なのかがわからない。単に、口先だけの公務員叩きを面白がって、日ごろのうらみ不満を晴らしてくれる「必殺仕事人」みたいに思っているとしたら、本当に殺されるのは、官僚ではなく、自分たち庶民であることを理解していないとしか、言いようがない。

投稿者 M78 : 2005年9月 7日 09:34

子育てや福祉(保育)の分野での民営化は、行政や自治体がなぜ民営化をするのか、それによりどのようなメリットがあるのかをきちんと説明しきれずに物事を進めるケースが多々あります。また確実に民営化による利益追求がもたらす弊害もあります。そして、子どもが関わるその保育の分野では、弊害はゆるされません。任せる官も委ねられる民もことの本質をみて、慎重な対応が必要なのではないかと思います。

投稿者 美しき無謀なビジネスマン : 2005年9月 7日 02:29

確かに官のサービスは民のそれに比べて明らかに劣っているのは、日頃感じるところではあります。
そして、私が今一番危機感を感じているのは、高校の三層構造(名門私立、公立、底辺私立)の中の底辺私立が、少子化の中の生き残りをかけて、無理やり実績を上げるために、ごく一部の優秀な生徒を学費免除どころか、報奨金まで渡して全力で育てる代わりに、その他の底辺の生徒を切り捨てているという実状です。この生き残ろうとするゆえに民が切り捨てた生徒を受け入れ、支えるのが官の教育の急務だと思います。
この世界については若輩者の私ですが、そんなことを感じる今日この頃です。

投稿者 celesitia : 2005年9月 7日 01:23

「民」での教育、経験した私とすれば、
「官から民へ」とは別の問題のような気もします。
最近では公立高校のゆとり教育に危機感を抱いた親、
以前ではいじめや校内暴力の横行する公立校を避ける親が
私立校を選択するという事ではないかと思います。
また、各校の長年の伝統や校風に惹かれる学生もいるでしょう。

愛知県の場合は、名門校は公立高校ですが、
旧藩校の流れをくむ独特の校風を有し、
首都圏や関西圏の私立校と同じような教育を行っています。

投稿者 だんな : 2005年9月 6日 21:00

しかし日本は一体どこへ行ってしまうのでしょう。すべて政治家のせいとは言わないけれど、国の「顔」ですからね。日本をなんとかして頂きたいものです。

投稿者 evilpanda : 2005年9月 6日 16:38

公的領域の「民間」への移行は非常に興味深いものがあります。教育に関するおもしろ文章ですね。市場原理に委ねられた教育が、教育の本質を忘れられそうで心配です。まだまだ勉強不足の私ですが、「民ができることを民へ」という流れに疑問を感じています。

投稿者 heyheyuntyosu : 2005年9月 6日 16:08


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